【新】狂言台本0.5:大蔵「虎清・虎明・清虎」について



有名人三人について

大蔵流の狂言台本の有名人と言えば「虎清・虎明・清虎」さん達ですね。この人たちの関係を分かっていないと大蔵流の台本紹介が理解しにくいと思うので、こちらの方々を紹介ます。

父・虎清さん

安土桃山時代から江戸時代前期を生きた、狂言方の能楽師です。
大蔵流宗家11代目の”虎政”の子供で、12代目を継ぎました。父同様、秀吉・家康に召し抱えられ使えた後、江戸を中心に活躍しました。正保3年に死去。晩年は、次男の清虎さんに別家八右衛門家を樹立させようと 、多くの書を残したそうです。名前や晩年の行動から見ても、後妻の子・清虎を大変偏愛していたようです。

兄・虎明さん

江戸時代前期を生きた大蔵流の狂言師です。
大蔵流宗家12代目虎清さんの長男で、弥右衛門虎明として13代目を継ぎました。
大蔵流中興の祖といわれいて、寛永 12 (1635) 年に大蔵流の最初の台本である『虎明本』を完成させました。慶安4(1651)年には当時一世を風靡した鷺流に対抗するべく、伝統保持を主張した『昔語』全1巻を執筆し、その注釈書として、万治3(1660)年には狂言の理念・信念をといた狂言論『わらんべ草(全5巻)』  を完成させ、大蔵流の古格を主張しました。
鷺流の台頭,弟八右衛門家(清虎さん)の分家樹立という状況の中で、大蔵流宗家としての地位を確立し、芸統の保持に努めた意義は大きいとのこと。
大蔵家系図によれば、弟の清虎さん以外に三人の妹がいるとあります。

弟・清虎さん

父・清虎、兄・虎明とともに江戸時代に活躍した狂言師で、今の狂言を形作った一人です。
兄の虎明とは13歳差で、異母兄弟です。分家として「八右衛門家」を樹てた人物です。お母さんは、観世座笛方の春日市右衛門の妹と記されています。次回の記事の虎清本でも触れますが、名前は虎清本ですが、代筆は清虎さんなので、虎清さんの書物の書下ろしは彼無くしては成り立たなかったと言えると思います。父・兄との共演は勿論、兄の子(つまり甥)とも付き合って出演していたようです。

虎明と清虎の関係

虎清の項目で述べたように、彼は晩年、後妻の子・清虎を偏愛していたため兄弟の仲は険悪だったように思われていましたが、実際は弟・虎清は分家として、宗家の兄・虎明を支えていたとみる方がいいように思われるとのこと。(橋本氏紀要論文より)
兄・虎明は病気故隠居したとの記述があり、あまり体が強くないものと想像される為、父・虎清としてはそういった宗家のサポートする役目を分家に与えたのではないだろうかと考えられます。虎清の弟、清虎、虎明の子も分家を樹ていて、なんと三代で分家を樹てています。この事実からも、”対立の分家”というより”サポートの分家”としての姿が想像できます。

参考文献・もう一歩

虎明・虎清さん兄弟の人生については、橋本朝生氏が紀要論文で詳しく分かりやすく記してくださっているので、そちらを御覧ください。私もこちらを参考に簡単にまとめてみました。

URL:法政大学学術機関リポジトリ 大蔵清虎上演年譜考
URL:法政大学学術機関リポジトリ 大蔵清虎上演年譜考

まとめ

長女の私としては、虎明さんに肩入れしてしまいますが、清虎さんの心労にも同情してしまいます。「兄弟関係はそんなに悪くなかったのではないか」とのことでとても安心していますが、分かりやすく差別されると子供って傷つくものなんですよね~。父親争いで対立するのではなく、兄弟がお互いに苦笑しながら「やれやれ」と、父親の扱いをあしらってくれていたら…と想像してしまいます(笑)


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